シェアで出逢えし。
「葬式はいらない」などの著者である、宗教学者、島田裕巳氏が約1年前に著した「人はひとりで死ぬ〜「無縁社会」を生きるために〜」はなかなか興味深い本でした。 最近、孤独死あるいは孤立家族死のニュースが目に付きます。また、かつて若者で賑わっていた郊外のニュータウンなどでは、独居老人の増加がもっぱら話題になっています。 地域内などでの人間関係が希薄で、まさに「となりは何をする人ぞ」という現代社会を今「無縁社会」と呼ぶようになりました。 ところで日本は戦後、高度経済成長時代を迎え、大量の人々が地方農村地域から東京、大阪などの大都市に流入しました。 それは、それまでの伝統的な村社会から、都市への移動でした。 これは、正に「無縁社会」の反対である村社会である「有縁社会」からの移動でした。 島田氏は、この有縁から無縁への移動が、決して移動した人々の意に背く現象ではなく、むしろ、ある意味硬直化した社会から脱出し、豊かになるために、進んで行ったことであるとも言える、と分析されています。 無縁社会はある意味望まれて、形成されたということです。 しかし、無縁を求めてきたはずの人々でしたが、結局かつての村の有縁ではない、別の有縁を求めることになりました。 この別の、いわば都市型の有縁社会は、終身雇用の企業であったり、あるいは新宗教団体が、その形成の担い手になったと、島田氏は述べています。 今、上司と部下の濃い人間関係、あるいは家族ぐるみの企業文化はすっかり衰退してしまいました。 都会の人々は、新しい有縁を求めて蠢いているのかもしれません。 そんなことを本を読み進めながら考えていたとき、 「そうだ、シェアハウスの起源はきっと、この文脈の中にあるな。」 と一人呟いたのでありました。
そこで回文「シェアで出逢えし。」シエアデデアエシ
2015/05/22 時事回文